sanuki story project

38さくら酒 香川県  神無月 晩秋さん
感動した話 その他
「さくらのお酒はいかがですか?」とママに勧められ、私は断れなかった…………。高松ライオン通りのとあるバー、pm11時半。夜は深く沈み酒席は華やいでいた。お客は五人程だったが、みな肩寄せ合って話している雰囲気になった。興に乗るということだろうか。こういう時は、酒が心地よく体に染み渡たり、立ち去りがたい。
話の感じでは医者と思われる男が、話の中心となった。
「これはさくらの実で作ったお酒なんです。よかったら飲みませんか?」男は酒をママに渡し、ママが皆にふるまった。微かにさくらの香りがした。季節は秋。冷気がまだ遠慮がちに降りてきている夜だった。
「これは、この間の台風の日の前日に拾ったんです。」この間の台風で皆がわかるほど、この台風は町に傷跡を残した。ここライオン通りも水が出て、バーの前の地下の飲み屋は水没したと、さっき話が出たばかりだった。「さくらも海水につかりましてね、結局、枯れてしまったんです。」海の近くに公営のプールがあった。その脇の通りにさくらが咲いていたらしい。そのプールには子供と何度か行ったことがあった。「あのプールもいずれ取り壊されることになっています。」「あとに何ができるんですかね?」そこから話題は不動産になった。ひとりは役所の人のようだった。もう一人は銀行マンみたいな話っぷりだ。二人が自分の得意分野の話を一段落させたところで、医者が再び口を開いた。「ずいぶん落ちていたんです。これまで毎年、実を拾っては酒を造っていましたが、あんな量は初めてだった。」「ちょっと、異様な感じでした。」これまで話の聞き役だったママがつぶやいた。「きっと知っていたんだわ」
「自分たちが海水につかり枯れることを知っていて、いつもより多めに種をばら撒いたと?」皆黙って頷いた気がした。…………酒はあまり強くないし、そろそろ酒量の限界だったが、この酒だけは飲みたかった。いや、飲まねばならぬと思った。