sanuki story project

9母に誓った金毘羅歌舞伎 香川県  T.Mさん
切ない話 家族ネタ・運命的な話
「お母さんね、いつか金毘羅歌舞伎を見に行くのが夢なの。」
テレビのCMを見て母は口を開いた。
目いっぱいお洒落してね…そう話していたのはいつの頃だったか。
それを聞いた私は子供だったけど、稼げるようになったら母を連れて行ってあげようと決めた。就職した初任給でどうだろう。絶対喜んでくれるだろうな…なんて思った。
しかし、私が初任給を手にした頃、母は病院の一室で過ごす日々を送っていた。

癌だった。

これまで馬車馬の様に働いていた母、私が就職したらやっと楽になる。これから目一杯親孝行して返す、その手始めに金毘羅歌舞伎行こう!
心に決めていた風景が遠ざかって行った。

日に日に何かが崩れていく様な、まるで砂城の様な母。一秒一秒が彼女の寿命を奪っていく様で息をするのも儚く思える日々。
ある日、母は天井の一点を見つめ、細々と力なく話し出した。

「生まれてきて楽しいことは一つもなかった。」

「お母さん、何言ってんの。これからじゃん。元気になったら、ほら、行きたいって言っていた金毘羅歌舞伎行こうよ。おしゃれしてさ。」
「おしゃれなんて、もう肌もボロボロ、体も骨と皮だけなのに…」
「大丈夫よ、ほら、あの絣の着物、綺麗じゃない。あれ着て、ね。」
だからそんな弱音吐かないで。元気になっていこうよ…
涙声になりそうでその続きが言えなかった。

それから2週間後、母は帰らぬ人となった。


何の縁があってだろう。
お母さん、私ね、出会った人が香川県の人よ。
やぁねお母さん、それほど見たかったのね、金毘羅歌舞伎。

でもごめんね。
私、今、飛び出しちゃったのよ。
ちょっとさ もう、疲れちゃった。

車に飛び乗り、高速に乗った。
とりあえず走った。行き先も考えず。
(岡山に帰ろうかな…)
夜の高速は不慣れで、なかなか岡山行きの標識が出ないと思っていたら通り過ぎたようだ。
気付いてすぐのインターを出た。
そのまま流れるように行き着いた場所、
そこは金毘羅さんだった。
 
目にも鮮やかな幾重もの幟が目に入った。
「あぁ、金毘羅歌舞伎の時期かぁ。」

母に誓った金毘羅歌舞伎。
今の私を母はどんな思いで空から見てるだろうか…。

私は深呼吸をして車に戻った。
母の笑顔を思い浮かべアクセルを踏んだ。