sanuki story project

58「めぇ~おじさん」 香川県  高橋裕さん
嬉しい話 その他
 「さあ、今日は早い電車に乗れそうだ。席を確保して続きを読もう。」
 いつもより早めに職場を離れることができた嬉しさと共に、JR高松駅に一直線。警察署前の広い交差点で耳を疑った。後方から「めぇ~」。羊のような、いや、ヤギのような鳴き声が。通行量の多い夕刻、そんなはずは無い。空耳か?確認することもせず青に変わった信号を駅に急いでいると、自転車で車道を通り過ぎる茶色コートの老人。辺りは暗いがオレンジ色の街灯越しに80歳ぐらいに感じられた。動きはスロー。横断歩道を渡りきる間際で「めぇ~」。あの老人だったのか。思わず噴き出してしまい「めぇ~おじさん」と名をつけ、夕食で家族に明日は職場での話題にしようと嬉しさが沸いてきた。
 駅までのラスト信号機が見えてきた。ちょうど信号は赤、横断歩道に差し掛かる頃にはちょうど良いタイミング。「ラッキー!」。青になったのを確認し、視線を前方に移すと、何と!横断歩道の向こうで自転車が転倒し、「めぇ~おじさん」が尻餅をついていた。動揺のあまり動けない様子。
 周りは家路を急ぐ足並みばかり。走り寄っていく男性に牽かれ、介抱を共にすることになっていた。気付けば、私と同様の男性がもう一人加わっていた。「大丈夫ですか、痛いところはないですか、立てますか。」口々に声をけるが言葉を返すことができない様子。靴を履かせ、一人は腰を、一人は肩を、そして私は臀部をしっかり確保、めぇ~おじさんのペースに合わせ「ゆっくり行きましょう、せ~の!」何とか自転車に乗れる状態にまで復帰。感謝の気持ちが止まらない「めぇ~おじさん」。
たどたどしいが何とか走行し始めたのを見届け、共同作業を終えた3人には安堵感と加え親近感がうまれた。「酒、飲んでいたんですかね、匂っていましたね。」「重たかったですね」「嬉しそうでしたね」「あの、おじさんヤギなんです」と話をしていると、後姿が「めぇ~」。思わずみんなに噴き出しつつ一抹の不安が、、、。
 「列車の時間が迫っていますのでお先失礼します」と足早に30歳半ばの青年。「手洗いに寄って帰りますので、お疲れ様でした。」と50歳半ばのシルバーグレーの男性。
 僅かなふれあいに何とも言えない充実感、「めぇ~おじさん」に感謝しながら改札口で定期券を示しつつ「お疲れ様でした」。