sanuki story project

127りんごと帽子 香川県  神本高明さん
切ない話
この日もそうだ。学食の外のベンチに座り、右手には缶コーヒー。左手にはポケットから取り出した、くしゃくしゃになった煙草の箱を握りしめ、残り一本の煙草をふかしている。
いつもと同じ毎日を過ごし、どこか懐かしく感じる夕日を眺め、隣の建物から流れてくるジャズをこの日も聞いている。
「ピピピッピピピッ」穏やかに流れる時間に、突如携帯のアラーム音が鳴り響いた。携帯の画面に出てきた文字は、「バイト」の3文字。煙草の火を消し、テーブルの上に置いていたヘルメットをかぶり、バイクにまたがった。そしていつものバイト先へ向かい、いつもと同じ制服を着て、いつもと同じ仕事をする。今日もまたいつものあの客が来た。年齢は八十歳くらいで髪の毛は抜け落ち、背丈は百八十センチ近くあるだろうか。いつもよれよれの白いランニングシャツにステテコという、まさにおじいさんという出立ちである。近所に住むおじいさんだが、いつも元気に自転車をこぎ、今日も六枚切りの食パンと一房のバナナを買っていく。いつものようにお釣りの出ないように小銭で会計を済ませ、笑顔で「ありがとう。」と言い、買い物袋を前のかごに入れ、元気に自転車で帰って行く。
それから一週間、めずらしくあのおじいさんは来なかった。その次の週も、そのまた次の週も来なかった。何かあったのだろうかと思っていた矢先に、あのおじいさんはやってきた。この日のおじいさんは、いつものみすぼらしいはげ頭ではなく、かっちりした真っ黒な帽子をかぶり、服装も、シワ一つないスーツを着ていた。いつものように私の前に来て、「ありがとう。」と、今日はりんごを買い、いつも通りお釣りの出ないように会計を済ませた。私が、「今日は食パンとバナナではないのですね。」と聞くと、「私一人じゃ食パンは食べきれないしね。それと、私は実はバナナが嫌いでねえ。」と笑いながら帰って言った。いつもの笑顔ではなく、シワが深くどこか疲れていて、どこか寂しそうな表情だった。
そして次の日。学食の外のベンチに座り、右手には缶コーヒー。左手にはポケットから取り出した、くしゃくしゃになった煙草の箱を握りしめ、残り三本になった煙草をふかしている。今日は曇りで夕日が見えず、ジャズの音色も聞こえない。いつもと違うのは、こんなことぐらいだ。